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靖國神社・遊就館で映画『あかねさす海』を鑑賞~重巡洋艦「羽黒」の最期とペナン沖海戦の歴史~

靖國神社の遊就館で映画「あかねさす海」を見てきました。

重巡洋艦「羽黒」について

重巡洋艦「羽黒(はぐろ)」は、旧日本海軍の妙高型重巡洋艦の4番艦です。開戦から大戦末期まで最前線で戦い続け、数々の激戦を生き抜いた武勲艦(幸運艦)として知られています。


概要

  • 艦名の由来: 山形県の出羽三山の一つ「羽黒山」にちなむ。

  • 竣工: 1929年(昭和4年)4月25日(三菱長崎造船所)

  • 特徴: 従来のイギリス式艤装(艦内設備)から脱却し、日本の客船の意匠を参考にした日本式の快適な内装が取り入れられた最初の世代の艦でした。

主な戦歴

太平洋戦争の開戦時から第一線に投入され、主要な海戦の多くを戦い抜きました。

  • スラバヤ沖海戦(1942年): イギリス海軍の重巡洋艦「エクセター」に主砲弾を直撃させ、連合軍艦隊撃破の足がかりを作りました。

  • 主要な参加海戦: 珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦、ブーゲンビル島沖海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦など。

最後の戦い:ペナン沖海戦(1945年5月16日)

大戦末期、過酷な状況下でアンダマン諸島への物資補給・負傷兵輸送任務(二号演習)に出撃しました。

  • 戦闘能力の制限: 船体に損傷を抱えて満足な速力が出ず、さらに甲板上に大量の輸送物資を積載していたため、主砲の旋回すらままならない状態でした。

  • イギリス艦隊との遭遇: マラッカ海峡(ペナン島沖)にて、圧倒的優勢なイギリス海軍の第26駆逐隊(駆逐艦5隻)に包囲されます。

  • 壮絶な最期: 随伴していた駆逐艦「神風」を逃すために自らおとりとなって奮戦。最後はイギリス駆逐艦隊からの集中砲火と魚雷数本の命中を受け、船首から沈没しました。これが第二次世界大戦における最後の水上戦闘(本格的な砲雷撃戦)とされています。

その後

2003年にペナン島沖の水深約66mの海底で船体が発見され、2005年には現地で日英合同の慰霊祭が執り行われました。

関連するYoutube動画を紹介します。

要約は以下の通り。

動画「幾多の海戦を生き延びた“幸運艦”羽黒!6発の爆撃にも沈まなかった奇跡と壮絶な最期」(http://www.youtube.com/watch?v=_4O8sgF58rc)の要約です。

太平洋戦争における数々の激戦や絶体絶命の危機を幾度も生き延びた「幸運艦」としてのエピソードと、僚艦を護るために盾となった壮絶な最期について解説されています。

動画の要約

  • 「幸運艦」伝説の始まり(1943年)

    ブーゲンビル島沖海戦にて、衝突事故で速度が落ちた姉妹艦「妙高」を庇って盾となり、敵機から6発もの爆弾を被弾してしまいます。しかし、そのうち4発が不発弾という奇跡が起き、致命傷を免れました [04:54]。この頃から羽黒は「幸運艦」と呼ばれるようになります。

  • 神がかり的な危機回避(1944年)

    • トラック島を出港したわずか1週間後に、同基地が大規模空襲を受け壊滅 [05:52]。

    • 次の拠点となったパラオでも、出港した翌日に大空襲が発生 [06:26]。

      このように、度重なる泊地への壊滅的打撃をことごとく間一髪で回避し続けました。

  • レイテ沖海戦での奇跡(1944年)

    当初、のちに壊滅することになる西村艦隊に配属予定でしたが、直前に栗田艦隊へ変更されたことで難を逃れました [07:02]。またサマール沖海戦では、避けきれず命中確実だった敵の魚雷が突然海面に浮上して速度低下を起こし、すんでのところで被雷を免れるという幸運にも恵まれています [07:35]。

  • 自己犠牲と壮絶な最期(1945年5月)

    アンダマン諸島に残された日本兵への物資輸送任務の最中、イギリス軍の駆逐艦5隻に捕捉されます [08:15]。機関故障で速度が出ず、甲板の積載物資で主砲すら旋回できない絶望的な状況の中、羽黒は随伴する駆逐艦「神風」を逃がすため、自らが囮となって敵艦隊に突撃しました [09:29]。

  • 沈むその瞬間まで続いた反撃

    敵の魚雷3本を受け大炎上し、艦長が「総員退艦」を命じますが、ほとんどの乗組員がこれを拒否 [10:01]。電源が落ちて動かなくなった高角砲を手動で旋回させ、砲座が海面に沈むその瞬間まで1時間近くも反撃を続けました。この阿修羅のごとき奮戦は、交戦したイギリス海軍の司令官からも称賛されました [10:34]。

まとめ:

動画の最後では、羽黒は単なる「運が良かった船」というだけでなく、身を挺して味方を守るための勇気ある行動を幾度もとったことで、当時の日本海軍の精神的支柱となっていたと評されています。

要約は以下の通り。

動画「【ペナン沖海戦】日本海軍主力艦の最後の海戦 重巡羽黒沈没」(https://youtu.be/d6JB5txVvl4)の要約です。

太平洋戦争末期、1945年5月に発生した「ペナン沖海戦」における重巡洋艦「羽黒」の最期と、その背景となった悲惨な状況について解説されています。

動画の要約

  • 絶望的な状況下での最終任務(1945年5月)

    1944年のレイテ沖海戦で事実上壊滅した日本海軍でしたが、シンガポールにはわずかながら稼働可能な艦が残されていました [01:02]。その中の一つである羽黒と駆逐艦「神風」に、アンダマン諸島に孤立し飢餓状態にあった日本軍守備隊(約1万9000人)を救出・補給する「二号演習」の任務が下されます [04:47]。

  • 戦闘能力を欠いた「手負いの獅子」

    この時の羽黒は、レイテ沖海戦での損傷により2番主砲が使えず、スクリューシャフトの故障で全速力も出せない状態でした [06:01]。さらに、輸送物資を積載するために魚雷発射管を撤去し、弾薬も半分に減らしており、甲板上の物資のせいで主砲の旋回すら困難という、軍艦としての戦闘能力を著しく制限された状態での出撃でした [05:40]。

  • ペナン沖海戦と羽黒の最期(5月16日)

    出撃はすぐにイギリス軍に察知され、マラッカ海峡のペナン島沖でイギリス海軍の第26駆逐隊(駆逐艦5隻)に捕捉されます [06:20]。

    • 圧倒的な戦力差と自身の損傷による機動力低下の中、羽黒は随伴する神風を逃すため、自らが盾となり交戦します [08:35]。

    • 魚雷を下ろしていたため最大の攻撃手段を欠く中、1時間近く激しく抗戦しますが、敵の魚雷3本(動画内では最終的に2本が致命傷と言及)を被弾。5月16日午前2時35分(または19時35分※動画内の音声では19時と言っていますが、前後関係から深夜の誤りと思われます)、船首から海中へと没しました [09:04]。この戦いで400名以上が戦死しました。

  • その後の影響と現代の課題

    羽黒の沈没により、アンダマン諸島の守備隊は完全に見捨てられる形となり、終戦まで飢えに苦しむことになります [09:50]。

    2003年に海底で羽黒の船体が発見されましたが、2014年には現地の違法業者によって無断で引き揚げ(スクラップ売却)が行われていることが発覚し、歴史的遺産の保護という観点から問題提起がなされています [10:33]。

まとめ:

太平洋戦争の主要な海戦を戦い抜いた歴戦の重巡洋艦が、最後は十分な武装も持たされず、輸送船のような扱いで絶望的な戦いに赴き散っていったという、戦争末期の悲劇を象徴する出来事として紹介されています。

レイテ沖海戦については以前記事にしました。

アンダマン諸島の位置はこちら。1947年にインド領。

以下、ご参考までに。

重巡「羽黒」の沈没によって最後の本格的な補給ルートを断たれたアンダマン・ニコバル諸島の日本兵(陸海軍合わせて約2万人)は、その後、以下のような過酷な運命をたどることになりました。


1. 完全な孤立と「遊軍化」

羽黒沈没の翌月(1945年6月)にも、軍は輸送船「第二黒潮」による補給・撤退作戦を試みましたが、これもイギリス海軍によって撃沈されます。これを受けて6月14日、大本営は同諸島への作戦を完全に断念。守備隊は救出の見込みがないまま、終戦まで敵海域に置き去りにされる「遊軍(孤立部隊)」となりました。

2. 深刻な飢餓と「住民虐殺事件」の発生

島内では食料や医薬品が完全に底をつき、極限の飢餓状態に陥りました。日本軍は自給自足のために農耕を始めましたが激しい飢えをしのぐには至らず、現地住民からの食料の強制徴発(略奪)が常態化します。

さらに、イギリス軍の上陸への恐怖、スパイ活動への過剰な疑心暗鬼、そして「口減らし(食料消費の削減)」が重なり、終戦直前の1945年8月には、日本軍の手によって現地住民を別の島へ強制移送したのちに虐殺・遺棄する悲劇的な事件(ハブロック島事件やタルムグリ島事件など)が相次いで発生してしまいました。

3. 終戦と日本への復員

1945年8月15日、日本は無条件降伏を迎えます。アンダマン諸島では、幸いにもイギリス軍による本格的な地上上陸作戦(激しい戦闘)が終戦まで行われなかったため、他地域の戦場のような「玉砕(全滅)」という結末は免れました。

  • 戦没者(占領期間全体): 陸軍約900人、海軍約1,500人

  • 復員(帰国): 1945年10月上旬にイギリス軍が進駐・武装解除を行い、その後、陸軍約17,000人、海軍約600人が日本への復員(帰国)を果たしました。

4. 戦後の凄惨な戦犯裁判(BC級戦犯)

命からがら生き延びて終戦を迎えた守備隊でしたが、その後に待っていたのはイギリス軍による徹底的な戦争犯罪の追及でした。

終戦直前まで凄惨な住民虐殺を行っていたこと、そしてイギリス軍が島に進駐した際に日本軍の組織や関係者がほぼ無傷でそのまま残っていたことから、捜査は速やかに行われました。結果として、アンダマン諸島関連だけで30件以上の戦犯事件が立件され、延べ100人以上の日本軍関係者がBC級戦犯として起訴。多くの将兵に死刑や終身刑などの重刑が科されるという、極めて重い傷跡を残して幕を閉じました。

大東亜戦争末期という圧倒的な劣勢のなか、過酷な任務に挑み、随伴艦を護るために自ら盾となって散っていかれた重巡洋艦「羽黒」の将兵の皆様、そしてその後のアンダマン諸島で筆舌に尽くしがたい苦難を経験された先人たちの歴史に触れ、改めて深く胸を打たれました。

映画『あかねさす海』は、単なる戦闘の記録にとどまらず、そこに生きた一人ひとりの人生や、後世の日本を想う切実な願いが真っ直ぐに伝わってくる作品でした。

私たちが今日、当たり前のように享受している平和や豊かな社会は、こうした先人たちの尊い犠牲と、祖国を想う心の上に成り立っているという事実を、私たちは決して忘れてはなりません。歴史の真実を学び、語り継いでいくことは、現代を生きる私たちの重要な責務であると強く実感いたしました。

皆様もぜひ、機会がございましたら本作をご覧いただき、また靖國神社や遊就館へ足を運んで、当時の歴史に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

https://djdjat.weebly.com/

https://www.yasukuni.or.jp/yusyukan/detail02.html?id=6

映画「あかねさす海」(期間限定上映)
1945年、大東亜戦争末期。マレーシア・ペナン島沖海戦によって沈没した日本の重巡洋艦「羽黒」。その“最期の戦い”をテーマに描く。特攻隊部隊『流れる雲よ』を26年間続ける演劇集団アトリエッジの戦争三部作の一つ「PEACE in The Bottle」を映画化(100分作品 日本語のみ)

≪期 間≫
令和8年 5月13日(水)から19日(火)まで

≪時 間≫
午後 1 時( 1日1回上映 )

※開場は上映の 10分前 です。

上映開始後に入出場なさる場合は、他のお客様の鑑賞の妨げにならないようご配慮ください。

≪場 所≫
遊就館2階 映像ホール1 ※常設展拝観券をお求めください。

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