今回は市丸利之助海軍少将について。
市丸利之助(いちまる りのすけ, 1891–1945)
- 出身地:佐賀県唐津市
- 経歴:日本海軍軍人。航空畑で要職を歴任し、第11航空艦隊参謀長などを務めた。
- 硫黄島の戦い:1945年、硫黄島守備の海軍部隊司令官として徹底抗戦。陸軍の栗林忠道中将と共に最後まで戦い抜いた。
- ルーズベルト宛書簡:戦局絶望の中、米大統領に宛てて日本の立場や戦後世界への警告を記した手紙を残し、戦後アメリカで報じられた。
- 最期と昇進:1945年3月に硫黄島で戦死。死後、中将に特進。
YouTube動画を紹介します。
要約は以下の通り。
動画要約
1. 書籍『大統領に継ぐ』の背景
- 舞台は1945年2〜3月の硫黄島の戦い。米国では「太平洋戦争を象徴する戦い」とされ、記念碑も建立されている。
- 日本側では陸軍の栗林忠道中将が知られる一方、海軍の市丸利之助少将の存在と行動はあまり知られてこなかった。
- 門田隆将氏は、戦後80年を機にこの「奇跡の物語」を記録し後世に残すべく本を刊行した。
2. 市丸利之助少将の手紙
- 市丸少将は「一言機下に継ぐこと敢えて有り」と題し、アメリカ大統領ルーズベルト宛に手紙を記す。
- 内容は、日本の立場やアングロサクソン世界への疑問、戦後政治におけるスターリンへの警告など、国際秩序全体を見据えた主張だった。
- 翻訳はハワイ生まれの日系二世・三船三郎氏(当時20歳)が担当し、アメリカ人にも伝わる表現にした。
3. 手紙の伝達と報道
- 翻訳文を携えた通信兵・村上茂氏が「自分の死をもって敵に届ける」覚悟で突撃し、米軍に渡った。
- 1945年7月11日、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙に全文が掲載。AP電で世界中に報道された。
- 当初は検閲で封鎖されたが、7月に解禁。記事は「日本提督、米大統領を叱る」といった見出しで大きく扱われた。
- 日本では当時一切知られず、戦後も長らく埋もれていた。
4. 戦後の再発見と研究
- 1990年代に東大の平川祐弘教授が文芸誌で紹介し、徐々に知られるようになる。
- 門田氏は取材を通じ、市丸少将や翻訳者三船氏、通信兵村上氏らの遺族に接触。
- ご遺族は90代以上の高齢であったが、証言や資料を提供。三船氏の妹も存命であり、翻訳者の人物像が初めて明らかになった。
5. 本書の意義
- 本書は小説ではなくノンフィクション作品。膨大な取材で関係者の肉声や遺族の証言を収録。
- 司令官・翻訳者・伝令兵それぞれの人生や家族との関わりを掘り下げ、戦史を超えた人間ドラマを描いている。
- 「日本軍の司令官が米大統領に手紙を出した」という異例の事実を通じ、日本人の覚悟と思想の高さを世界に示す記録となった。
✅ まとめ
この動画は門田隆将氏が著した『大統領に継ぐ』を解説するもので、硫黄島での市丸利之助少将の手紙とその伝達・報道・再発見を描いた歴史的ノンフィクションの紹介。戦争末期に命を懸けて米大統領へ日本の立場を伝えた将兵の行動と、その家族・遺族の証言を基にした「知られざる物語」が強調されている。
門田隆将さんの書籍は以下。
大統領に告ぐ 硫黄島からルーズベルトに与ふる書 Kindle版 門田隆将 (著)
産経新聞の正論記事に関するポストを紹介します。
産経『正論』に拙稿掲載。先の大戦で日本が〈何のために戦ったのか〉という論考。市丸利之助海軍少将の「ルーズベルトに与ふる書」、ヘレン・ミアーズの主張、マッカーサー元帥の議会証言等を元に書かせて貰った。今日は中露北というファシズム国家による抗日戦勝利イベントの日。先人の気概を忘れまい pic.twitter.com/YEkuEPqBRb
— 門田隆将 (@KadotaRyusho) September 3, 2025
内容の要約は以下。
門田隆将氏の論考「<正論>日本は何のために戦ったのか」(2025年9月3日)の要約
戦後80年と「反省・謝罪」の呪縛… https://t.co/mQryfBIV5G
— 浜田 聡 前参議院議員 NHKから国民を守る党💉💉💉 YouTubeやブログは毎日発信 (@satoshi_hamada) September 4, 2025
門田隆将氏の論考「<正論>日本は何のために戦ったのか」(2025年9月3日)の要約
戦後80年と「反省・謝罪」の呪縛
日本の8月は毎年「反省と謝罪」が強調される時期であり、2025年の戦後80年も例外ではなかった。石破茂首相が全国戦没者追悼式で「戦争の反省と教訓」を述べたことは、中国からの要求と重なり、波紋を呼んだ。ネット上では「日本は何のために戦ったのか」が改めて議論されている。
市丸利之助少将の「ルーズベルトに与ふる書」
著者が取り上げるのは、市丸利之助海軍少将が硫黄島で死を前に米大統領宛に残した書簡。この中で市丸は、日本の戦いの意味を「西洋列強による植民地支配と人種差別への抗い」として訴えた。彼は「百年後の日本民族のために殉じる」と語り、書簡は日系二世兵曹らによって英訳され米軍に届けられた。
日本の歴史的立場
当時、アジアで西洋の植民地でなかったのは日本とタイのみで、日本は一貫して「人種差別撤廃」を国際的に訴えてきた。1919年のパリ講和会議で多数の支持を得ながら、米大統領ウィルソンの「全会一致」要求で退けられたことは象徴的である。
戦争の動機と評価
日本にとって人種差別撤廃とアジア解放は悲願だった。米国の知識人ヘレン・ミアーズや、マッカーサー元帥の証言も「日本の戦争は安全保障上の必要に迫られたもの」と指摘している。よって「反省と謝罪」だけでは語れない複雑な要因が存在する。
戦後の世界秩序
戦後、アジアやアフリカの独立が相次ぎ、現在の国際秩序につながった。戦争は一方的に悪によって始まるものではなく、日本の戦争も多面的に理解されるべきだと結論づける。
まとめのポイント
戦後80年、日本の「反省と謝罪」の強調に疑問を投げかける。
市丸少将の書簡は「日本の戦争=人種差別・植民地支配への抵抗」と位置づけ。
日本は国際社会で早くから人種差別撤廃を訴えていた。
戦争の要因は「安全保障」や「アジア解放」であり単純な侵略ではない。今こそ「日本は何のために戦ったのか」を国民的に議論すべき時だと主張。
市丸利之助氏、日本人として知っておきたい名前です。
その他、関連YouTube動画を紹介します。