今回はチェチェン共和国について。
「2つのチェチェン」に関して、日刊SPAの記事を共有。
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実は「もう一つのチェチェン」が存在するのだ。「もう一つの」というよりは「本来のチェチェン」が存在する。それは、ロシアの支配に屈せず、弾圧を受けてヨーロッパなどに亡命した独立派チェチェン人たちである。https://t.co/8hkaFms6Fa— 浜田 聡 前参議院議員 日本自由党月額980円党員募集中💉💉💉 YouTube&ブログ毎日更新 (@satoshi_hamada) July 27, 2023
記事の簡潔なまとめ↓
この記事は、「ウクライナが“チェチェン独立(チェチェン・イチケリア)”を事実上認めた」動きを、ウクライナ戦争とロシア帝国主義の文脈で解説しています。(日刊SPA!)
- 2022年10月18日、ウクライナ最高会議(国会)が“チェチェン・イチケリアの主権を認める声明”を採択(賛成多数)。ロシア領内の一共和国の「主権」を認める点が歴史的だ、と位置づけます。(日刊SPA!)
- 一般に知られる親露のカドゥイーロフ政権(ロシア側)とは別に、弾圧で亡命した“独立派チェチェン人(イチケリア側)”が存在し、2014年以降とくに全面侵攻後は、ウクライナ側で対ロ戦に参加していると説明します。(日刊SPA!)
- ロシアはチェチェンを長期にわたり武力で抑え、**第一次・第二次チェチェン戦争で多数の犠牲(「大虐殺」的規模)**が出た、という歴史を整理し、現在のウクライナでの残虐行為とも連続性があると論じます。(日刊SPA!)
- 2022年7月末、チェチェン亡命政府(イチケリア)のザカーエフ首相とウクライナ軍の協定(チェチェン義勇部隊をウクライナ軍の外国人部隊として組み込む趣旨)が重要な転機として紹介されます。(日刊SPA!)
- 10月18日の声明は、ロシアによるチェチェン人大量虐殺を批判し、現在のチェチェンを「ロシアによる一時的占領状態」と位置づける、とまとめています。(日刊SPA!)
- さらに、戦争の帰結次第では、チェチェン(コーカサス)を起点にロシア連邦内の分離独立が連鎖する可能性に言及し、歴史の転換点になり得ると結びます(ブダーノフ情報総局長の見立てを紹介)。(日刊SPA!)
現状、2つのチェチェンがあるということを確認したうえで、チェチェンの歴史を振り返りたいと思います。
第1次チェチェン紛争においては、チェチェンがロシアに勝った、という歴史は注目したいです。
要約は以下の通り。
1. 動画の狙い(導入)
- チェチェンは、ロシア・ウクライナ戦争でも「ロシア軍側のチェチェン部隊」が投入されることで注目されるが、もともと強い反ロシアの抵抗の歴史を持つ。
- 2000年代のテロ(モスクワ劇場占拠など)で「過激な反ロ民族」の印象がある一方、プーチンはチェチェン戦争の勝利で国民の支持を得て、長期政権の礎を築いた。
→ つまり「現代ロシアを理解する鍵がチェチェン」だ、という問題設定。
2. チェチェンとは何か(地理・民族・資源)
- 位置:北コーカサス(ジョージアの北東付近)。面積は岩手県よりやや大きい程度。
- 北は乾燥地帯、南は山岳地帯で温暖。農業も盛んで、ワインなどが名物。
- 石油・ガスが産出し、工業化の潜在力がある。
→ この「エネルギー資源」が後に問題を複雑にする要因の一つ。- チェチェン人:北コーカサス系の言語、宗教は主にイスラム教(スンニ派)。文字文化が乏しかったため古代史は不明点が多く、確実に追えるのは16世紀以降。
3. ロシアの南下政策とチェチェンの抵抗(16世紀〜19世紀)
- ロシアは16世紀(イヴァン雷帝の時代)から黒海方面への進出を狙い、コーカサス諸民族を征服していく。最終的に19世紀前半に南コーカサス地域はロシアに併合される。
- その過程でチェチェンはコーカサス諸民族の中でも特に激しく抵抗した。
- 大規模反乱の例として、18世紀末の指導者(マンスール)を挙げ、以後も「抵抗の精神」が継承されたと説明。
- ロシアは弾圧・追放を試み、オスマン領(現トルコ)へ逃れるチェチェン人も出たため、現在トルコにチェチェン系住民が多い、という説明。
- 19世紀末には石油採掘が進み、ロシア人農民・労働者が流入し、人口構成も変わる。
4. ソ連成立期:自治の付与→スターリンの強制移住(1920s〜1956)
- ロシア革命〜内戦期には、赤軍が白軍(デニーキン)と戦う中で、チェチェン側と一定の利害が一致し、結果として1921年頃に北コーカサスに一定の自治が認められた(イスラム慣習法の容認など「融和的な時期」)。
- しかしスターリン期に状況は一変し、自治は解体、住民はカザフスタンなどへ強制移住。
- 極寒・過酷な環境で多数が死亡し、帰還はフルシチョフ期(1956年)になってから。
- 帰還後、自分たちの家にすでにロシア人が住んでいる、条件の悪い土地に追いやられる等の摩擦が起き、反ロ感情はさらに強固になった。
5. 「反ロ感情」と社会規範(動画の解釈)
- 長年の弾圧と抵抗の歴史が、部族社会の結束と反ロ感情を強めた。
- 「ロシア人から盗む/巻き上げるのは構わない」「金は民族のために使う」「戦いになれば男は民族の誇りのため戦う」といった、独特の社会的規範が形成されたという見立て。
- ロシア側からは「チェチェン=犯罪者集団」のような偏見が生まれ、チェチェン・マフィア像とも結びつくが、動画は「原因はロシアの蒔いた種でもある」と評価する。
6. 旧ソ連末期〜独立宣言(1987〜1991)
- 1987年頃から、ペレストロイカ等で裏社会の取引が表面化し、マフィア抗争が激化。
- チェチェン・マフィアが荒っぽさと容赦なさで勢力を伸ばし、モスクワやサンクトペテルブルクの闇社会にも影響。
- 1991年の混乱(クーデター等)を背景に、チェチェンは独立準備を進め、**ドゥダエフ(ジョハル・ドゥダエフ)**が大統領となり独立を宣言。
- ロシア側は独立を認めず対立へ。チェチェンは石油で潤う地域を目指し、裏社会の人脈も動員して資金・貿易を回そうとする(石油のノウハウを持つのがマフィアだった、という説明)。
7. 第一次チェチェン戦争(1994〜1996)とロシア軍の苦戦
- ロシア政府はチェチェン封鎖・締め付けを強化、マフィア抗争も激化し、ロシア側が軍投入を宣言して戦争へ。
- ロシア軍は首都グロズヌイに一旦侵入するが、都市戦・ゲリラ戦で大苦戦。
- ソ連崩壊後の軍の弱体化(予算削減・士気低下)が露呈し、損害が拡大。
- 1996年、ドゥダエフが殺害されるが戦争は継続。ロシア国内では反戦論が強まり、エリツィンは再選のため停戦に動く。
- チェチェン側の奪還作戦もあり、最終的に**「独立は先送りしつつ事実上の独立を認める」**ような玉虫色合意でロシア軍撤退。
→ 第一次はチェチェン側の勝利と整理。ただし民間人も含む犠牲は非常に大きい(動画では数万人規模に言及)。
8. 戦後の無秩序化:武装・誘拐・過激化(1996〜1999)
- 戦争で石油施設が破壊、土地が汚染され農業も困難、働き手も減少。
- 武器が社会に拡散し治安が悪化。男たちは出稼ぎ、あるいは誘拐による身代金稼ぎへ。
- 指導者同士が対立し軍閥化。大統領マスハドフと、野戦司令官バサエフらの力関係で政治が不安定化。
- イスラム過激派(ワッハーブ派/外来の過激思想)が入り込み、「秩序回復」を求める層の支持を得て影響力を拡大。
- マスハドフは弱体で妥協を重ね、イスラム法導入へ傾斜していく。
9. 第二次チェチェン戦争(1999〜2009)と「プーチンの台頭」
- 口実:バサエフのダゲスタン侵攻、さらにロシア国内のアパート爆破事件。
- 動画はここで「当局の自作自演の可能性も高い」「真相は不明」と留保しつつ疑念にも触れる。
- ロシア国民がテロに怯える中、エリツィンが無名に近かったプーチンを首相に据え、プーチンは強硬策で支持を獲得。
- 1999年秋に爆撃開始、第二次が本格化。のちにエリツィン退任→プーチンへ権力移譲。
- 動画の結論:第二次の開始は、権力移譲とプーチン人気を作る政治目的と結びついていたという見方。
10. 第二次の戦い方:徹底掃討・殲滅と「静かな戦争」
- チェチェン側は山岳にこもるゲリラ戦。
- ロシア側は都市・インフラ破壊を含む徹底掃討、一般人の犠牲も顧みない残虐な手法を取ったと説明。
- 情報封鎖が強く「何が起きたか分かりにくい」ため「静かな戦争」と呼ばれ、死者数も不明確(推計として非常に大きい数字に触れる)。
- これへの報復として、2000年代にロシア国内で大規模テロが多発:モスクワ劇場占拠、ベスラン学校占拠、地下鉄・列車・空港など。
11. カディロフ体制の成立(親ロ傀儡政権)
- 戦後に実権を握ったのがアフマド・カディロフ(現指導者ラムザン・カディロフの父)。
- 元は第一次で独立派側にいた宗教指導者だが、イスラム過激派の拡大に反対してロシアに接近。
- プーチンは2000年にカディロフをチェチェンのトップに据え、親ロ政権として復興を進める。
- 2004年、アフマド・カディロフは爆殺され、その後にラムザン・カディロフが2007年にトップに就任。
- 以降、カディロフ体制は親ロを貫き、ドンバス(2014)やウクライナ侵攻(2022)でも兵を送る。
12. まとめ(動画のメッセージ)
- チェチェンとロシアの緊張は16世紀から続く「弾圧と抵抗」の長期構造であり、チェチェンは簡単に従わない。
- ただし第一次・第二次の戦争は、純粋な民族闘争だけでなく、
- チェチェン側の軍閥化・資金獲得(誘拐・テロ等)
- ロシア軍側の略奪・腐敗
- 軍産複合体の利得
- そしてプーチン政権の支持固め
など、政治・利権が絡む面が大きい、と指摘。- 情報封鎖でチェチェンの実態が国際的に見えにくかったが、ウクライナ戦争を機にロシアの周辺地域で何が起きてきたかに関心を持つことが重要、という呼びかけで締める。
ロシア・ウクライナ戦争において、双方ともに長期の戦いで疲弊していることは想像に難くありません。
であるがこそ、2つのチェチェンには注目しておきたいと思います。※亡命政府のリアルタイムの情報を探すのは難しいです。