鳥取護国神社にて戦艦武蔵艦長・猪口敏平中将顕彰碑の除幕式に参列〜先人の思いを顕彰し、歴史を未来へ紡ぐ〜

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今回は戦艦武蔵の艦長、猪口敏平中将の顕彰碑除幕式について。

「先人と若者が対話をする場所」を 8月15日で戦後81年 護国神社に戦艦「武蔵」の最後の艦長・猪口利平中将の石碑 猪口中将の四男が発起人に

2026年8月14日 19:08

8月15日は「終戦の日」、戦後81年を迎えます。鳥取県鳥取市の神社では旧日本海軍で戦艦の艦長を務めた軍幹部の石碑が立てられました。

鳥取市の護国神社に完成したのは旧日本海軍で戦艦「武蔵」の最後の艦長を務めた猪口敏平中将をまつった石碑です。猪口中将は鳥取市出身で1944年8月に戦艦「武蔵」の艦長に就任。同じ年の10月にフィリピン沖へ出撃するも米軍からの攻撃で海に沈んだとされています。

猪口中将の四男 猪口勇 さん
「父を含む先人たちがどのようにして先の大戦でどういう考え・思いで命をささげていったのかと。先人と若者が対話をする場所としてモニュメントがあったらいいなと」

石碑設立の発起人は猪口中将の四男でもある猪口勇さん・87歳です。石碑には父の遺言などが刻まれていて「若者に伝えたい」という思いからプロジェクトをスタート。有志から寄付を募り土地は護国神社からの提供で記念碑が完成しました。

猪口中将の四男 猪口勇 さん
「来てくれればいい。銘々がどう思うかは勝手だけどこういう人がいたんだなということは間違いなく印象に残ると思う」

8月15日で戦後81年。猪口さんは当時の父の言葉に触れてもらい、少しでも戦禍の状況について知ってもらえればと訴えていました。

除幕式には私も参列させていただきました。

久野潤さんにお誘いいただいたことに感謝です。

動画の主要ポイント

  • 16年間の空白と技術継承の工夫 [00:12]
    ワシントン海軍軍縮条約により、戦艦「陸奥」以降16年間新造艦を作っていなかった日本海軍は、既存戦艦の度重なる大規模改装工事を行うことで特殊鋼板加工などの建造技術を維持し、次代(大和型)へ技術を継承させました。
  • 艦名決定の経緯と影響 [05:23]
    軍令部総長から「大和」「信濃」の候補が提出され、昭和天皇のお召し(ご裁可)により「大和」に決定しました。日本の国そのものを表す重い名前を冠したことで、大事にしすぎて出し惜しみにつながった側面も語られています。
  • 「官(呉)」と「民(長崎)」の並行建造体制 [08:25]
    1番艦「大和」は国営の呉海軍工廠、2番艦「武蔵」は民間トップの三菱重工長崎造船所で建造されました。技術の競合・定着や、有事の修理体制を見越した戦略的運用でした。
  • 進水・建造方法の違いと秘匿措置 [10:48]
    • 大和:ドック内で建造され、艤装中は沖合からの目隠しとして空母「鳳翔」が配置されるなどの機密保持が行われました [12:28]。
    • 武蔵:船台上で建造され、貴重な石油やワセリンの代わりに大量の豚の脂(ラード)を滑り台に塗って進水させました [13:45]。
  • 真珠湾攻撃と就役のタイミング [14:40]
    「大和」の竣工は真珠湾攻撃直後の昭和16年12月16日でした [16:11]。当時、米軍の公式記録上は大和型の具体的な規模や存在を正確に把握できていなかった点についても触れられています。

動画の主要ポイント

  • 渡辺清著『戦艦武蔵の最期』復刊の紹介 [01:05]
    戦艦武蔵の沈没から80年を迎えるにあたり、元乗員で戦後に執筆活動を行った渡辺清氏の著作『戦艦武蔵の最期』(角川新書、1982年の朝日選書版などの復刊)を取り上げています。
  • 書籍の性質(実体験をもとにした小説形式) [03:57]
    著者が戦艦武蔵に乗艦してレイテ沖海戦を経験したことは事実であるものの、作中では「俺(矢崎)」という人物を立てて描かれており、純粋な記録集というよりは「乗艦経験をもとにした戦記文学・小説」という形式をとっています。
  • 作中で描かれる過酷な現実と批判的描写 [04:37]
    • 不沈艦と信じられていた武蔵の主砲制御装置が魚雷の衝撃で故障するなど、航空攻撃を前にした無力感 [04:48]
    • 組織内の暴力や上官の逃走、少年兵たちの凄惨な死 [04:54]
    • 沈没時に乗員救助よりも「天皇の御真影(写真)」の退避が優先されたことへの問題提起 [05:04]
  • 久野氏が提示する3つの論点・問題意識 [05:57]
    本書の内容を踏まえ、動画本編(会員向け等)で掘り下げる以下の論点を提示しています。
    1. 戦艦武蔵は本当に役に立たなかったのか?(レイテ沖海戦における評価や誤解の検証) [06:03]
    2. 御真影を大切にする精神性は無益だったのか?(当時の精神性への捉え方) [06:14]
    3. 戦争経験者の証言・著作とどう向き合うべきか?(「経験者が言っているから全て正しい」と鵜呑みにするのではなく、客観的な歴史検証とどうバランスを取るか) [06:24]

動画の主要ポイント

  • 武蔵一宮 氷川神社と関東神社ランキング1位 [00:37]
    関東の人気神社ランキング(神社・寺院情報サイトのアクセス集計)で1位となった武蔵国一宮「氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)」を取り上げ、歴史や参道の魅力を紹介しています。
  • 長い参道と展示物(明治天皇の御親拝絵巻など) [02:56]
    一の鳥居・二の鳥居から本殿へと続く長い参道を歩くことで心が落ち着き清められる点や、参道脇にある明治天皇御親拝当時の隊列を記録した絵巻物展示などを解説しています [04:34]。
  • 境内に建つ「戦艦武蔵之碑」 [05:40]
    三の鳥居をくぐったすぐ左側には、武蔵国の名を冠した「戦艦武蔵」の顕彰碑(戦艦武蔵之碑)が建立されています。
  • 「慰霊」と「顕彰」の違いについての論考 [06:00]
    • 戦後長らく行われてきた「慰霊(戦没者を悼む)」だけが突出すると、「かわいそう」「戦争さえなければ」といったネガティブな反戦意識や自虐史観に傾きがちになる点に問題提起 [07:07]。
    • 亡くなられた方の霊を慰めるとともに、国のために立派に戦った行為や精神を称え受け継ぐ「顕彰」を両立させることの重要性を説いています [07:44]。
  • 氷川神社における「顕彰祭」の意義 [08:35]
    氷川神社では、石碑の前で行う祭典を単なる「慰霊祭」ではなく「顕彰祭」として執り行っており、戦艦武蔵とその乗員を顕彰する姿勢を明確に伝えている社であると結んでいます。

今回の鳥取護国神社での顕彰碑が作られた猪口敏平中将について。

ご指定の動画(日本に栄光あれ「戦艦武蔵最後の海戦 猪口敏平海軍少将 遺書」)の主なポイントは以下の通りです。

動画の主要ポイント

  • 戦艦「武蔵」の建造と秘匿 [00:12]
    三菱重工長崎造船所で極秘裏に建造され、周囲の視線を遮るため大量のシュロ縄(500トン)でドックを覆うなどの対策が取られました。進水時には巨大な船体が生み出した波により対岸の民家へ海水が押し寄せた逸話が紹介されています [00:51]。
  • 猪口敏平(いのぐち としひら)艦長の経歴と人物像 [01:48]
    「キャノン猪口」と称されるほど卓越した海軍屈指の砲術の権威であり、横須賀砲術学校教頭などを経て、レイテ沖海戦を前に戦艦「武蔵」の第4代艦長に就任しました [02:29]。
  • レイテ沖海戦(シブヤン海海戦)での孤立と集中攻撃 [05:54]
    昭和19年10月24日、シブヤン海にて米空母機動部隊から6波にわたる猛烈な航空攻撃を受けました。最初の魚雷攻撃等で速力が低下して艦隊から落伍・孤立し、魚雷約20本・爆弾約17発などの集中攻撃を単身で引き受ける形となりました [06:46]。
  • 猪口艦長の遺書と自責の念 [07:43]
    艦長室で記された遺書には、以下の思いや技術的・戦術的反省が残されていました [08:40]。
    • 武蔵を失うことへの全国民に対する謝罪 [08:49]
    • 武蔵が攻撃を一手に引き受け「被害担任艦」となり、他艦を守れたことへの慰め [08:59]
    • 初期の衝撃で主砲方位盤が故障したことや、対空射撃の威力・精度の不足に対する技術的・用兵的反省 [09:12]
    • 乗員の救助(退艦)と兵力保持を最優先とし、責任はすべて自らが負う覚悟 [11:54]
  • 武蔵の沈没と最後の瞬間 [13:06]
    猪口艦長は副長に遺書とシャープペンシルを託し、「総員退去(退艦)」を発令 [13:40]。副長の同行の申し出を退けて責任を取るべく艦に残り、午後7時35分頃、武蔵とともに海中へと沈みました [14:59]。乗組員約2,399名のうち1,023名が戦死、1,370名余が救助されました [15:26]。
戦艦武蔵を米軍250機が襲った5時間——なぜ大和ではなく武蔵だったのか|レイテ沖海戦
今回はレイテ沖海戦のうちシブヤン海の5時間を、栗田艦隊の信号往復と宇垣纏の日記、武蔵戦闘詳報という三つの記録系統を並べて再構成した。複数の戦記資料を読み比べて最も印象に残ったのは、武蔵は『囮にされた』のではなく、二重輪型陣の外側という配置と...

動画の主要ポイント

  • シブヤン海海戦の幕開けと捷一号作戦 [01:03]
    1944年10月24日、レイテ沖海戦(シブヤン海)にて、栗田健男中将率いる第一遊撃部隊(主力戦艦:大和・武蔵・長門など)に米第3艦隊から約250機の攻撃隊が襲来しました。
  • なぜ大和ではなく「武蔵」に攻撃が集中したのか(3つの要因) [05:08]
    米軍機250機のうち半数以上が武蔵1隻に集中攻撃を浴びせた背景として、以下の理由が挙げられています [16:22]。
    1. 陣形(輪形陣)の配置:大和が護衛艦に囲まれた二重の輪の中心にいたのに対し、武蔵は外側寄りの位置に配置されていた [02:13]。
    2. 視覚的要因:米軍パイロットの視界に最も近く、最も巨大に捉えられた [05:51]。
    3. 艦長の着任期間(操艦習熟度)の差:大和艦長(森下大佐)の着任9ヶ月に対し、武蔵艦長(猪口大佐)は着任2ヶ月余りで、艦を熟知・回避運動させる経験差があった [02:41]。
  • 猛攻に耐え続けた武蔵と栗田艦隊の反転 [06:44]
    魚雷20本・爆弾17発・至近弾18発を受けながらも長時間浮力を保ち続けましたが、15時30分頃、栗田艦隊は敵機回避のため武蔵を残して一時反転しました [08:09]。武蔵が攻撃を一手に引き受けたことで艦隊主力の被害が抑えられ、翌日のサマール沖海戦へと繋がりました [08:46]。
  • 宇垣纒中将の悲痛な記録と「身代わり」 [13:42]
    第一戦隊司令官の宇垣中将は日記『戦藻録』に「我が半身を失へり」「大和の身代わりとなれるものなり」「今日は武蔵の悲運あるも明日は大和の番なり」と記し、武蔵沈没の衝撃と大和の運命を予見していました [14:28]。
  • 戦術の不可逆な転換点 [15:02]
    武蔵の主砲(46cm砲)は敵水上艦に向けて一度も発射されることなく沈没 [12:44]。武蔵喪失の翌日には初の「神風特別攻撃隊」が発動され、海軍が大艦巨砲による水上決戦を断念し特攻戦術へ移行する決定的な契機となりました [15:11]。その延長線上に、半年後の戦艦大和の海上特攻(東シナ海での沈没)が位置づけられています [15:45]。

動画の主要ポイント

  • 捷一号作戦の発動と栗田艦隊の出撃 [00:33]
    1944年10月、米軍のレイテ島上陸に対し、日本海軍は囮の空母機動部隊に米軍を引きつけさせ、戦艦「大和」「武蔵」を擁する栗田健男中将率いる部隊がレイテ湾へ突入を図る「捷一号作戦」を発動しました。道中パラワン水道で潜水艦により重巡「愛宕」「摩耶」を失うなど痛手を負いながら進撃しました [01:29]。
  • シブヤン海海戦と猛烈な第1次〜第3次空襲 [02:08]
    • 第1次攻撃(10:26頃〜):陣形の外側に位置していたことや塗装の目立ちやすさ等から武蔵に攻撃が集中 [04:50]。爆弾や魚雷1本を受け、主砲方位盤が故障して主砲斉射能力を喪失 [05:53]。
    • 第2次攻撃(11:54頃〜):爆弾で前甲板貫通・機械室損傷、さらに左舷へ魚雷3本が命中し速力が低下 [06:11]。
    • 第3次攻撃(13:25頃〜):魚雷命中と度重なる注水復元により艦首が4m沈下、速力16ノットまで落ちて艦隊の輪形陣から落伍・孤立 [07:35]。
  • 過酷を極める艦内と第5次・第6次空襲 [08:36]
    • 第4次空襲は他艦に向かったものの、第5次・第6次(計100機超)で手負いの武蔵に攻撃が集中 [10:17]。
    • 艦橋への爆弾直撃で猪口艦長が負傷し多数の幹部が死傷、甲板上は機銃掃射と爆撃で阿鼻叫喚の惨状となり対空弾薬も枯渇 [09:21]。
  • 栗田艦隊の反転と武蔵の孤立 [11:14]
    栗田提督は空襲をかわすため艦隊を一時反転(西進)させましたが、速力が出ない武蔵は追従できずシブヤン海に取り残されました [11:30]。
  • 沈没と「被害担任艦」としての驚異的な耐久力 [12:07]
    • 19時15分に総員退去命令が下り、御真影と軍艦旗を降下後、19時35分に左舷へ横転・艦首から沈没 [12:34]。猪口艦長は艦に残り戦死(乗員2,399名中1,023名戦死、1,376名生存) [12:54]。
    • 魚雷20本以上・爆弾17発以上・至近弾20発以上という、世界の海戦史上類を見ない猛攻を一手に引き受け(被害担任艦)、長時間浮力を保ち続けた驚異的な耐久力と日本の造船技術・乗員の練度が強調されています [13:15]。

 

戦後81年の節目を迎えるにあたり、鳥取護国神社の境内に建立された猪口敏平中将の顕彰碑は、まさに「先人と若者が対話をする場所」としての大きな意義を持つものと実感いたしました。

苛烈を極めたシブヤン海海戦において、自らを「被害担任艦」と位置づけ、全責任を背負いながら乗員の退避と国の行く末を案じた猪口中将の遺書と行動は、単なる歴史の1ページにとどまらず、現代に生きる私たちに重い問いと教訓を投げかけています。

久野潤先生が動画内でも語られているように、過去の戦没者への「慰霊(いたみ)」にとどまらず、祖国や未来のために全力を尽くされた先人の志を正しく知る「顕彰」の姿勢こそが、これからの日本を考える確固たる土台になると強く信じております。

今回、貴重な除幕式・竣工祭にお誘いいただいた久野潤先生、そして素晴らしい石碑建立に尽力された発起人の猪口勇様をはじめとする関係者の皆様に深く敬意と感謝を申し上げます。

私も政治に携わる者として、先人たちが命懸けで守り抜こうとした日本の未来を見据え、歴史に学びながら日々の活動に邁進してまいります。

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