今回はミッドウェー海戦です。
ミッドウェー海戦は、
1942年6月4日〜7日にかけて、太平洋のミッドウェー島周辺で行われた、
日本海軍とアメリカ海軍の決戦です。
太平洋戦争の流れを大きく変えた「転換点」として知られています。
1. 背景
- 1941年12月の真珠湾攻撃で日本は米太平洋艦隊に大打撃を与えたが、米空母は撃ち漏らした。
- 山本五十六連合艦隊司令長官は、残る米空母をおびき出し撃滅するため、ミッドウェー島攻略作戦を立案。
- 同島は米軍にとってハワイ防衛の前線基地であり、日本にとっては米本土やハワイ作戦の足がかりとなる戦略拠点。
2. 作戦の概要
- 日本側:空母4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)を主力とする機動部隊、攻略部隊、支援部隊など。
- アメリカ側:暗号解読により日本の作戦を事前に察知し、空母3隻(エンタープライズ・ホーネット・ヨークタウン)を配置して待ち伏せ。
- 計画は「ミッドウェー島を奇襲上陸で奪い、その過程で出てくる米空母を撃破」という二段構え。
3. 戦闘の経過
- 6月4日朝
日本機がミッドウェー島を空襲、損害を与えるが防御砲台は残存。 - 索敵と兵装転換の混乱
米空母発見が遅れ、攻撃隊の兵装(爆弾と魚雷)の換装作業中に時間を浪費。 - 「運命の5分間」
米急降下爆撃機隊が到着、防御機が低空に誘引されて上空防御が手薄な中、赤城・加賀・蒼龍が立て続けに被弾・炎上。 - 飛龍の反撃
飛龍は2度の攻撃でヨークタウンに大損害を与えるが、最終的に飛龍も撃沈。 - 6月7日
日本軍は撤退、作戦は失敗に終わる。
4. 結果
- 日本側:空母4隻、航空機約250機、熟練搭乗員多数を喪失。
- 米側:空母1隻(ヨークタウン)、航空機約150機を失うが、戦力の中核は維持。
- 日本海軍は攻勢能力を大きく削がれ、以後防御的戦争に転じる。
5. 歴史的意義
- 戦略的転換点:日本の戦略的主導権が喪失し、米軍が反攻に転じるきっかけとなった。
- 情報戦の勝利:米軍は暗号解読と待ち伏せ戦術で優位を得た。
- 戦術的教訓:目的の二重化、索敵不足、通信制限、柔軟性欠如などが敗因として分析されている。
救国シンクタンク(チャンネルくらら)の動画を紹介します。
要約は以下の通り。
この動画は、伊藤俊幸氏(元海将)と小川清史氏(元陸将補)が、
1942年のミッドウェー海戦を「失敗の本質」や戦略・戦術面から再検証した内容です。
要点をかみ砕いてまとめると、以下の通りです。
1. 背景と当時の状況
- 真珠湾攻撃後、日本国内は盛り上がっていたが、米空母を撃ち漏らしたことが山本五十六長官の課題だった。
- 当時の海軍中央(軍令部)は「前言迎撃」思想(敵が日本近海に来たところを叩く)で短期決戦を想定。
- 山本は「前方に出て叩く」方針で、真珠湾で逃した米空母を狙おうとした。
- 米海軍は太平洋戦力の一部をヨーロッパ戦線に割いており、日本は一時的に数的優位と判断。
2. 作戦目的の混乱
- 名目上は「ミッドウェー島攻略作戦」だが、実際には「米空母撃滅」と二重の目的があった。
- この二重目的が現場を迷わせ、指揮の一貫性を失わせた。
- 本来は島を取って航空拠点化し、そこから米艦隊を叩く計画だったが、多くが空母攻撃を優先。
3. 戦略・戦術上の欠陥
- 短期決戦志向:アメリカの長期戦覚悟に対し、日本は短期で講和に持ち込む発想。
- 人前出撃(Forward Deployment)の失敗:
敵がミッドウェー島を保持する状態で日本が前に出撃、補給や防御に不利な状況に陥った。 - 索敵・情報戦の弱さ:
偵察機の指示不足や連携ミスで敵空母発見が遅れ、対応が後手。 - 装備運用の柔軟性欠如:
魚雷から爆弾への換装中に奇襲される(有名な「運命の5分間」)。 - PDCA(改善サイクル)欠如:過去の戦訓が組織的に反映されず、同種の失敗が繰り返された。
4. 陸軍的視点からの指摘(小川氏)
- 海戦と見られがちだが、本質は「島攻略作戦」であり、陸戦的発想が必要だった。
- 島を取れば不沈空母化でき、航空戦力を前進配備可能。
- 実際は攻略部隊が後方に回され、主力が空母戦に集中したため、島攻略が後回しに。
- 作戦命令には「まず島を攻略」と明記されていたが、海軍側は軽視。
5. 本質的な敗因
- 作戦目的の優先順位を誤り、本来の「島攻略→敵艦隊撃滅」の順序が崩れた。
- 海軍文化として「陸地を取る」発想が乏しく、戦術原則(拠点確保後の機動打撃)を無視。
- 結果的に敵に島を保持されたまま戦闘に臨み、戦力的不利と奇襲を招いた。
6. 教訓
- 目的は一つに絞り、全軍が共有すべき。
- 長期戦シナリオも見据えた戦略設計が不可欠。
- 拠点確保と補給線維持は海戦でも陸戦でも共通の原則。
- 他軍種の視点(今回なら陸戦的発想)を組み込むことで作戦の幅が広がる。
この要約をベースにすれば、「ミッドウェー海戦は実は“島攻略作戦の失敗”だった」という視点を強調した分析として整理できます。
後編の動画もあります。
要約は以下の通り。
この後編では、前編に続き「ミッドウェー作戦」を本来の意図と実行面のずれから分析し、
特に作戦目的の二重化と任務配分の誤りを中心に議論しています。
要点をかみ砕くと以下の通りです。
1. 本来の作戦意図
- ミッドウェー作戦は「敵空母撃滅」だけでなく「ミッドウェー島攻略」も目的だった。
- 島を奪えば「不沈空母」として使え、戦力的優位を得られる。
- 攻略部隊と機動部隊を別々に編成しており、本来は役割を明確に分けるべきだった。
2. 実行段階での問題
- 名目上は攻略部隊があるのに、名取中将(機動部隊指揮官)が攻略と空母攻撃を同時に担当。
- 山本五十六長官の意図や発言に忖度し、現場が空母攻撃に比重を置いてしまった。
- 任務が二重化したため、どちらも中途半端になり、攻略部隊が有効に使われなかった。
3. 指揮・通信面の欠陥
- 無線封鎖と偵察制限により、現場状況の把握が遅れた。
- 奇襲を重視するなら、トップ(山本)が現場に出て直接指揮すべきだったが、それを行わなかった。
- ミッションコマンド型(現場判断で柔軟行動)教育が不十分で、受け身の行動になった。
4. 歴史認識と戦後の誤解
- 戦後の海軍関係者による記述や映画で「運命の5分間」など空母撃沈が強調され、島攻略の重要性が埋もれた。
- 実際には「甲板に爆装機が多数並び爆撃を受けた」というイメージは誇張で、被害は格納庫内部で発生していた。
5. 現代への教訓
- 目的の単純化:一つの部隊に複数の主要任務を同時に与えない。
- 任務配分の徹底:役割に応じた部隊編成を活かしきる。
- 現場との対話:異なる軍種(陸・海)の視点を取り入れ、偏った判断を避ける。
- 誤解に基づく評価の修正:史実の再検証が教育や戦史理解に不可欠。
つまり後編の議論は、
「ミッドウェーは“海戦”ではなく“島攻略作戦”でもあった。それを二重任務化し、指揮と配分を誤ったことが大敗の本質」
という視点で総括していました。
今回紹介した2つの動画の教訓のひとつは以下です。
教訓(ひと言)
作戦目的は一つに絞り、編成どおりの役割分担を徹底せよ。
補足
ミッドウェーの敗北は、「島攻略」と「敵空母撃滅」という二重目的を同時に追ったため、
- 部隊間の任務があいまいになり、戦力が分散
- 無線封鎖や指揮の不在で現場判断が遅れ、状況変化に柔軟対応できず
- 結果としてどちらの目的も達成できなかった
もし目的を「ミッドウェー島の確実な攻略」に一本化し、攻略部隊・機動部隊の役割を崩さず進めていれば、
島という戦略拠点を得て長期的優位を確保し、敵空母撃滅の機会も後に作れた可能性が高い――
これが2本の動画に共通する教訓のひとつです。
コメント
厳しい戦いに「欲張り」は絶対に禁止。
完璧主義は計画段階では優位なことは当然であり、あらゆる可能性を排除せずに完璧を目指すものです。しかし、実践では致命傷を引き寄せることもあります。
最悪なのは私の評判ですが、今回の目的では私が好かれることなど、元から問題外。
最大の目的は、浜田聡の票。
本人にとって相応しい自信と票を、いくらかは誘導することができたのかも知れません。
日本中で一番悔しいのは恐らく私ですが、結果的に3年後の参院選などでは気持ちが収まるようにも思います。海外の大学院でも修了できそうな長い期間です。AIを使わないタイプの御本もその気になれば、たくさん書けそうな時間です。
いまの態度での活動も素晴らしいです。スピーチや発声も決して悪くはないのですが、プロの訓練を受けてもらいたいです。きっと他のキャリアについても考え直したいのではないですか。せっかくですから、できることを全てして全面的に強くなって戻りましょう。
PS 少しでも早い方が良いのですが、精査さえせず聞きかじりで浜田先生自ら誤情報の発信をするようなことさえなければ、選挙がない今月中を目途として・・急ぐ必要はないと思います。何事も、浜田先生本人への信頼の上昇とイメージアップのために使いましょう。選挙が一番遠い、今が一番良い時期です。
あと少し、お気持ちを立て直してください。必ず理解されることでしょう。見守ります。当然です。
蛇足
※作戦命令には「まず島を攻略」と明記されていたが、海軍側は軽視。→全くこの通り。