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高知県香美市へ!日本自由党・米倉むねひろさんとの打ち合わせ&依光市長との意見交換、そして紀元節復活の歴史に触れて

倉敷市の自宅から香美市に来ました。

目的は、数か月後の香美市での選挙に(私が総裁を務める)日本自由党から挑戦予定の米倉むねひろさんに会い、現地の様子を見るためです。

立ち上げたばかりの政治団体から選挙の候補者として挑戦いただけるのは本当にありがたいです。

米倉さんは香美市ご在住で、お隣の南国市と高知市でそれぞれ韓国居酒屋を経営されています。

今後に向けて、充実したお話ができたように思います。

そして、現地におられる様々な方々と会ってお話の機会をいただきました。

香美市長の依光晃一郎さんとも、市役所で1時間以上にわたって意見交換の機会をいただきました。

この動画は、2026年3月29日に投開票が行われた高知県香美市(かみし)の市長選挙に関するニュース映像です。翌日である3月30日に報道されました。

動画の内容は以下の通りです。

  • 選挙結果: 任期満了に伴う香美市長選挙が2026年3月29日に投開票され、無所属で現職の依光 晃一郎(よりみつ こういちろう)氏(48歳)が、新人の候補を1,276票差で破り、2回目の当選(再選)を果たしました。

  • 依光氏の抱負: 1期目でやり残したことを進めることに加え、具体的には「人口増に向けた住宅政策」「南海トラフ地震対策」「集落を守ること、特に物部(ものべ)地域の活性化」に注力したいと語っています。

  • 投票率: 51.19%で、前回(4年前)の選挙よりも2.63ポイント下がりました。

  • 今後の任期: 2026年4月9日から4年間となります。

色々とお話しさせていただいた中で、香美市が紀元節復活の契機となった地であることは印象に残っています。

香美市(旧・土佐山田町、さらに遡ると旧・天坪村)の繁藤(しげとう)小学校が「紀元節復活の契機となった地」と呼ばれるのは、戦後のGHQによる占領政策の中で完全にタブー視されていた「紀元節(神武天皇即位の日)」の奉祝式典を、1956年(昭和31年)、全国の学校に先駆けて公に復活させ、国家規模の大論争を巻き起こしたためです。

この出来事は当時の日本社会に大きな衝撃を与え、のちに国の祝日として「建国記念の日(2月11日)」が制定されることになる、全国的な世論のうねりの原点となりました。歴史的には「繁藤小学校事件」として知られています。

1. 戦後のタブーに挑んだ「紀元節式典」

戦前、2月11日の「紀元節」は四大節(最も重要な国家祝祭日)の一つであり、全国の学校で式典が行われていました。しかし戦後、GHQの意向などによって国家神道的な色彩が強いとされ、1948年に廃止されてしまいます。

そんな中、1956年(昭和31年)2月11日、繁藤小学校の溝渕忠広(みぞぶち ただひろ)校長は、地域の教育委員会の許可を得た上で、校舎の改築記念も兼ねて学校行事として紀元節の奉祝式典を盛大に挙行しました。日の丸を掲げ、紀元節の歌を斉唱する。戦後の民主主義教育のなかでは「絶対的なタブー」とされていた行為でした。

2. 全国を巻き込んだ大論争(繁藤小学校事件)

この繁藤小学校での式典強行は、単なる一地方の出来事にとどまらず、マスメディアを通じて瞬く間に全国へ報道され、国全体を二分する大論争へと発展しました。

  • 激しい反発:日本教職員組合(日教組)や革新系勢力、左派メディアからは「戦前の軍国主義や神国思想への逆行だ」「不法な式典だ」として激しい批判を浴び、現地には抗議が殺到しました。

  • 熱烈な擁護:一方で、保守派や伝統を重視する文化人、国民からは「日本人の誇りと伝統を取り戻す勇気ある行動だ」と絶賛され、全国から応援のメッセージや寄付が届きました。

  • 国会への波及:この問題は国会でも大きく取り上げられ、文部大臣が答弁を迫られるなど、当時の政治・教育界を揺るがす一大政治問題となったのです。

結果としてこの事件は、「戦後日本は自国の建国の歴史や伝統をどう扱うべきか」という問いを、すべての国民に突きつけるトリガーとなりました。

3. 「建国記念の日」制定への足がかりへ

溝渕校長は周囲からの激しい非難や圧力、教育委員会からの処分に屈することなく、自身が退職する1978年(昭和53年)まで、この繁藤小学校での紀元節式典を毎年貫き通しました。

この毅然とした姿勢に共感した全国の有志や政治家が動き、繁藤の地から始まった「紀元節復活運動」のうねりは政界を動かす決定的な原動力となりました。そして事件から10年後の1966年(#昭和41年)、祝日法改正によって「建国記念の日(2月11日)」が正式に制定されるに至ったのです。

現在の神武天皇像について

旧繁藤小学校の敷地内(丘の上)には、この歴史的な喚起を記念して1962年に**「神武天皇像」が建立されました。台座には「日本紀元復興喚起之處」**と刻まれており、まさに香美市繁藤の地が「眠っていた日本人の建国への意識を呼び覚ました場所」であることを今に伝えています。現在、この像を修復して後世に遺そうとする民間主導のプロジェクトも進められています。

このYouTube動画(KUTVテレビ高知による報道)は、先ほど話題にのぼった香美市の旧繁藤小学校の敷地内にある「神武天皇像」の修復プロジェクトについて伝えているニュースです。

動画の内容の要点は以下の通りです。

  • 像の現状と課題:1962年に建立されてから60年以上が経過しており、風雨による損傷が進行しています [00:14]。表面のコーティングが剥がれ、神武天皇の弓の先に留まっていた象徴的な金の鳥「金鵄(きんし)」のオブジェも失われたままとなっています [00:26]。

  • 修復実行委員会の設立:この歴史的遺産を後世に継承するため、高知県内の経営者らが中心となって「神武天皇像修復プロジェクト実行委員会」が設立されました [00:35]。

  • 資金と計画:修復費用として約2,500万円を見込んでおり、県内の企業や団体に広く支援(寄付など)を呼びかけて集める方針です [00:44]。

  • 今後の予定:修復完了は2026年5月を予定しているとのことです [01:14]。

実行委員会のメンバーは「地域や高知県民にとっても宝物であり、日本の国のことを思ってもらえるようなレジェンド(遺産)として多くの人に見てほしい」と語っています [00:54]。まさに、先述した「紀元節復活の契機となった地」としての歴史的価値を次世代へ繋ぐための具体的な動きが、現在進行形で進んでいることを示すニュース映像です。

このように高知県香美市は、日本の伝統や建国の歴史を守るための社会運動において、非常に重要な足跡を残した地でもあります。今回、依光市長をはじめ現地の方々から直接このようなお話を伺えたことは、大変有意義で深い学びとなりました。

地域の誇るべき歴史的遺産を後世に継承しようとする熱い思いに触れ、私自身も身が引き締まる思いです。

日本自由党としては、米倉むねひろさんと共に、こうした地域の素晴らしい歴史や文化を大切にしながら、香美市のさらなる発展と住民の皆様の暮らしを支える政策を実直に訴えてまいります。

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